吹奏楽は沼だった ④

☆前回までのあらすじ☆

副顧問「マーチングコンテスト出るで」

部員一同「mjd?!」

 

……

ここで、浅井の父の話をします。

浅井の父は小学校の鼓笛隊時代から中学、高校、そして社会人になってからも吹奏楽どっぷり、途中ジャズのビッグバンドを挟みつつ、現在60代後半)もアマチュア市民楽団に所属する傍ら何故かプロに混じってステージに乗ってる時もあったりするスーパージジイです。高校の時は有名なマーチング強豪校に所属しておりました。(学校は今は存在しない)(身バレ防止の為フェイク有り)

要は

父、浅井部活参戦

……こういうの、思春期のムスメとしては嫌がる人多いと思うんですよ。でも、浅井は特に抵抗も無く。ここから、3年間に渡る父と私と部活の付き合いが始まるのです。

話を戻します。副顧問は自分の恩師をマーチングの講師として呼んできて、「コンテ」(動き方の設計図。)を描いてもらい、動き方の初歩から指導を受けました。確か5mを8歩で歩くんですよ。足の短い中学生にはかなりキツイ。手を伏○恵の犬のやつみたいな形に組んで(ちょっと違うけど)顔の前に掲げてひたすら歩く練習。

余談ですが、私たちが出たのは「パレードコンテストの部」という全員が華美でない動きやすい服装で出る部門だったのですが、華美でない動きやすい服装といえば「体操服」だったんですよ。お金かからない。ありがたかった!

ところで、今から25年ほど前は今よりかなり涼しく、夏場33℃まで行くととても暑い!🥵という気候でした。まだ熱中症が日射病から熱中症に呼び方が変わるか変わらないかの頃でした。だから真夏の炎天下でも平気で外で練習してたんです。

当然、みんなバタバタ倒れる。それも今まで室内でしか練習してこなかった文化部のか弱い女の子たちが。(男子も一部いたけども。)かくいう浅井も休憩中に鼻血をたらりと出し、先輩に「わーーー!!浅井ちゃんおおおお落ち着いて」(先輩が落ち着け)という案件があったりしたのですが。

サッカー部や野球部に混じって校庭で5m×5mの白線を引いたフィールドを作り、ひたすら歩いたあの頃。歩くだけじゃ無くターンもあって大変でした。

ところが、いざ楽器を持って練習……という段になって、これまた問題が。

次回!「近所のオッサンがうるさいって乗り込んできて楽器実奏しながら練習できない危機!私らどうしたらいいのー?!そんな時、意外なところから救いの手が!『持つべきものは近くの小学校教員の親!』デュエルスタンバイ!」

3

コメント

タイトルとURLをコピーしました