入院中に新劇場版ヱヴァンゲリヲンを初めて観た人の感想

 こんにちは、ynnです。
 知らない天井だ…。

 肋骨骨折からの肺挫傷にて入院ベッドからお送り致します。

 ベッド生活を持て余し、Amazonプライムビデオで何となく目についた新劇場版ヱヴァンゲリヲンシリーズを一気に観てしまい、世界観にグッと引き込まれて丸一日で4作全てを観てしまったので、熱が冷めないうちに感想を書こうと思います。めっちゃ長いです。

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(※アニメシリーズは子供の頃に観たっきりでうろ覚えなので、色々と間違ってる事も多々あるかと思われますので予めご了承下さい。)

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

 ほぼ初見といっていいレベルでの視聴なので、ついていけるか正直不安だったがそんな事はノープロブレムだった。
「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ…」がかなり早いうちに出てくるセリフなんだ…!と初めてわかる。
 そしてだんだん観ているとシンジが自分の思っている事を言えずただルールに従う姿や、コミュニケーションがあまり得意ではない事、父親と仲が良くない事、音楽プレーヤーを耳栓代わりのように装着している姿など自然と共感を覚える。

 特に共感したのが、ミサトさんが「風呂は命の洗濯よ!」とシンジに入浴を促し、実際に入浴中のシンジがこぼした「でも風呂って嫌なことを思い出すほうが多いよな…」という言葉が妙に納得してしまった。
 温泉や銭湯に行けば周囲や景色、温泉のマナーなどを考えてるので命の洗濯だと感じるものの、一人で入浴しているとあれやこれやと考え事をいい意味でも悪い意味でもリフレインしてしまうので痛いほどにわかる。
 シンジは周りの大人や明るい人から見たらウジウジしていて自己開示をせず多少イラッとさせるかもしれない印象を与えるのだが、周りから見たら筆者自身もそんな風に見えてる気がしてならないのだ。
 しかし筆者の場合、NOが言えないタイプなので「何とかやります…」に落ち着いてしまうところを彼は「こんなの僕にはできないよ!!」「無理だよ!!」と感情を露わにして癇癪を起こせる姿は正直ちょっと羨ましかったりする。

 この時点での心境は碇ゲンドウやミサトさんにコントロールされていて、抑圧されて鬱々としているシンジの姿に嫌でも自身の内面と向き合わされグサグサと心を抉られ「序」を観た後は気持ちが沈んだ。

 でも綾波レイのおっぱい丸見えは嬉しかったです。

 そして何より心にズシンときたのがEDテーマの宇多田ヒカルの「Beautiful World」
 この曲が元々好きだったのですが、映画を観終えた後に歌詞をじっくり聴くとシンジの心境にあまりにも寄り添い過ぎてて宇多田ヒカルの言葉選びの才能に震えたッ…。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

 何やかんやでヒロインはアスカ推しなので「序」に登場しなかったアスカを求めて続けて視聴。
 「破」は中盤まではアスカも加わった事もあり、コミカルなシーンや余暇を皆で楽しむシーンもあり気持ちが少し晴れやかに。
 加持リョウジが皆を連れて行ったセカンドインパクト以前の海の生き物を保管している施設が、水族館のようで背景のアートワークとても美しかった。

 実は加持リョウジのような軟派な距離感激詰め男キャラが苦手で、最初に見た時何よこの男ガルルル!!!!と思ってしまったのだが、シンジとの対話で「辛いことを知ってる人間の方が、それだけ人に優しくできる。」というところで初めて彼の誠実さや優しさが見えたし、葛城を守ってやってくれとシンジに託した時点で、かなり良い人だとわかる。しかし、もしかして…この人死ぬのでは……?と嫌な予感が走った。

 そして「破」で一番良かったのがアスカが自分は天才、周りとは違うし、私は一人で戦わなければならないというタイプの孤独を抱えているのがわかる夜中のシーン。
 アスカがピンクと白の縞パンをはいてるのがわかって嬉しかったです!

 寂しくなってシンジの部屋に行き、互いに背中合わせでポツリポツリと言葉を交わす姿。
 シンジも父親に認められたい、周りに認められたい故の孤独があり、お互いの一方的な孤独を持ち寄って部屋の中で「二人ぼっち」なのがとても切なかった。
 上記のシーンがある故に、その後のアスカの乗ってる3号機が使徒に寄生された後にシンジが意図しない形で3号機を破壊してしまった悲惨さや、綾波を助ける為に取ったシンジの行動でサードインパクトが起きてしまう絶望のドミノ倒しのような展開が際立ち、次作「Q」の公開をリアルタイムで待っていた人達はどんな心境だったのだろう…と頭を抱えました。

 そして「破」を観終えて思った事。

  • アスカの名前が式波・アスカ・ラングレーな事(アニメは惣流・アスカ・ラングレー)

  • 急に出てきた真希波・マリ・イラストリアスという新キャラの存在

  • ラストシーンの渚カヲルの「碇シンジくん。今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ。」という発言

  • 新世紀エヴァンゲリオンとヱヴァンゲリヲン新劇場版の文字の違い


 こ、これって…もしかして…

別の世界線(並行世界)やループものの作品…ってコト!?

 ウワーッ!!!観るべき順番を間違えたかもしれねェ…!
 スッキリしないのでちゃんと後日、旧シリーズも観ようと思います。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

 一体何が起きてるんです???(混乱)
 コールドスリープされたのか14年後に目覚めたそして何も知らないシンジ。…と視聴者。
 序盤の置いてけぼり感の描写がかなり上手いのと、ぼんやりした意識で担架で運ばれて何か知らないけど隔離されたっぽい部屋に入れられる構図がここ数週間の筆者の状態とシンクロ率100%でゾッとしました。
 没入感があったので、むしろ今の入院中のタイミングで観られて一番良かったかもしれない。
 サブスクはあるものの密かにウォークマンの充電が切れたら好きな音楽が聴けなくなる恐怖に自分自身が怯えている最中なので、隔離室で壊れた音楽プレーヤーを再生できずに落ち込むシンジの姿も他人事として見られる状況ではなかったりする。

 音楽プレーヤーは壊れるし、ディストピア飯が出てくるし、何故か死んだと思ったアスカは生きてるし、助けたはずの綾波も存在しないと言われるし、エヴァに乗ると爆発するチョーカーは装着されるし、ミサトさんやリツコさんの対応は冷たいし皆エヴァに乗れとか乗るなとかどうすりゃええねん!という、とにかくシンジのメンタルが滅茶苦茶になる回。(サードインパクトの原因がまだ自分のせいであると知らない状態)

 自分ではどうにもならないし何が正しいのかも判断できる状況になく綾波の声や姿を模したエヴァに導かれ、ネルフに戻ったシンジの前に碇ゲンドウと、二人でエヴァに乗れと指示されてここでシンジと初めて顔を合わせた渚カヲル。

 子供の頃にエヴァンゲリオンを観た時はカヲルの距離感の詰め方が怖く映っていたのだが、今回は違った。
 心神喪失状態のシンジに寄り添い、シンジでも本音を少しずつ吐露できる程よい相槌。
 音楽療法のようにピアノの音を聴かせたり、連弾したり、壊れた音楽プレーヤーまで修理する。渚メンタルクリニックをやってくれ〜!

 シンジとカヲルが二人で星空を見上げてる時にカヲルが横向きになって語りかけてくるシーンで惚れそうになったし、シンジが顔を赤らめる理由が何故なのか、よくわかった。

 DSSチョーカーをシンジの代わりに装着し、最後までシンジの存在を肯定し、幸せを願い、無償の愛を沢山与えて散っていった彼の姿は儚く、美しく、しかしどこまでも残酷だった。
(石田彰さんの「また逢えるよ」の「また」の部分の切ない感じの演技がとにかくイイので一番聞いて欲しい!!!聞いて下さい!!!!)

 シンジがカヲルに「ピアノでいい音を出すためにはどうしたら良い?」と聞いて「反復練習さ。同じことを何度も繰り返す。自分がいいなって感じられるまでね。それしかない。」というのは本当に全ての分野において当たり前だけれどその通りなので、シンプルなセリフながらに心にしっかり刻んで生きていこうと思った。

シン・エヴァンゲリオン劇場版

 カヲルを喪って今までよりも深い哀しみから、自分から動くことも喋る事も出来なくなったシンジと綾波(仮)がアスカに連れられ辿り着いた先はニアサードインパクトを逃れた第3村。
 てっきりサードインパクトで死んでしまっていたと思ったトウジやヒカリやケンスケが生きていたのでちょっと安心した…。

 第3村の物語は主に新しい綾波が挨拶、仕事、お風呂、ごはん、おいしい、赤ちゃん、生まれる、可愛い…とトウジとヒカリの赤ちゃんの成長と同じように言葉や感情を一つ一つ覚えていく姿がとても愛おしい。
 一方、自責の念でどんどん自身の殻に閉じこもり、食事もできず、アスカの首のDSSチョーカーを見る度にショックで嘔吐、レーションをアスカに無理矢理口にねじ込まれる描写、どうせ自分の居場所はないんだと言わんばかりにケイスケの家を出て廃墟で座っている姿を見るのはとても胸が苦しかった。

 アスカがサードインパクトの時に使徒と融合した影響なのか、食事の味もせず、全く眠れずを14年間繰り返したのかと思うと確かにシンジを殴りたい気持ちもわかる。
 それでもシンジのレーションを口にねじ込み怒りをブチ撒けたのは、自分の罪とも向き合わないのに14年間苦しんだ私を放って勝手に死ぬな!ちゃんと生きて贖罪しろ!という意味合いでの行動だったのかなぁと思ったり。(本当にシンジの存在を否定するなら、食事をさせる事はしないはず)

「いつかのお弁当、美味しかった。あの頃はアンタの事が好きだったと思う。」
 そっと伝えて去る姿はどこか吹っ切れていて、今は憎くても昔は素直に好意があった事をちゃんと伝えてるのがなかなかいじらしい。

 綾波(仮)が村に馴染み、そろそろ綾波の「そっくりさん」じゃなくて自分の名前を自分の気持ちに従って決めたらいいんじゃない?という村人の助言を受けて、少しずつ廃墟にいるシンジを訪ねて少しずつシンジと第3村の架け橋として機能していたものの、ネルフの外では生きられないという事でタイムリミットを迎えて消失する。
 ここで「破」の水生生物の綾波が狭い水槽にいる魚を見てシンジに言った「この子たちはこの中でしか生きられないの。私と同じ」と言っていた理由がそこでわかってウルっとした。

最後の戦いへ

 ネルフとの最終決戦に向けてヴィレにアスカと共にシンジが出向く。
 ここからシンジの行動が大きく変わり、ヴンダーに乗船してヴィレに収容される事を選び、戦場に出向く前のアスカに対してサードインパクト後にアスカがシンジを殴りたかった理由をしっかりと理解し「僕が何も決めなかったから。助ける事も、殺す事も、責任を負いたくなかったから」と伝えて向き合う姿に成長を感じた。
 ヤマト作戦で大量のネルフのエヴァが襲い来る中でミサトさんが活躍する姿が滅茶苦茶格好いい!
 ガンダムSEEDのマリューさんのように三石琴乃さんボイスの愛と哀しみを知って全てを背負う女艦長キャラに惚れない訳がない!
 加持リョウジのバンダナと新たな生命を受け継ぎ罪を背負いながらも強く生き、シンジの責任も全て自分が引き受けると言い、それでもアスカから渡された元気そうな息子の写真を見て最後の戦いを前に涙する母としての姿も垣間見え、「序」の時点の情熱で仕事してる、プライベートはちょっとダメなお姉さんキャラから一番大きく印象が変わるシーンでした。

 アスカが融合した使徒を眼帯を外し、リミッターを解除するシーンの演技がかなり痛々しく、思わず目を逸らしたくなる。
 ここでゲンドウがアスカのリミッター解除を予め狙っていたらしく、アスカが自身が恐らく使徒を模したオリジナルの式波に取り込まれる描写があるものの、今回のシリーズだけでは惣流との違いがまだわからず何故式波が綾波と同じようにコピーが何人も存在しているのかがわからず…更に他シリーズを観なければならないと思った。

壮大な親子喧嘩

 マリに見送られ、裏宇宙でシンジとゲンドウが対峙。
 エヴァに乗る前の解析結果でエヴァとのシンクロ率がゼロどころか限りなく近く無限大です!!でテンションがアガらない筈はないッ!チートかよォ!!

 シンジの人生のあらゆる記憶の場所を拠り所に初号機と13号機が戦闘を開始する。
 ちょっとこのシーンがシュールでミサトさんの家のお茶の間で、シンジの自室で、学校でエヴァとエヴァが乱闘する姿でクスッとしてしまった。
 だが、ゲンドウが心を閉ざしているせいなのか、ゲンドウの記憶に関する場所は碇ユイの墓前でシンジと対話するまで一切出てこないのが印象的である。

 ミサトさんが命を懸けて生成した槍のお陰もあり、碇ユイの墓前という場所でようやく面と向かって、シンジは父さんに嫌われたくなかった、認められたかったと吐露し、ゲンドウはATフィールドが出現した事で初めて自身の心の弱さを知り、対話をし始める。
 シンジが音楽プレーヤーを父に返して、ゲンドウが「イヤホンを外界と私を断ち切り、ノイズから守るもの」「ユイとの出会いで必要がなくなった」ことを語り、ゲンドウは実はシンジと鏡のような存在で一部の視聴者の内面とも同じ存在だった事がわかる。
 人との繋がりが嫌だった。興味のないクラスメイトや親戚の家に行くのも嫌だった。一人でいたくてピアノと本だけが自身を満たしてくれた。
 幼少期から筆者自身もクラスメイトの家や親戚の家や学校や会社に行っては毎日緊張し、嘔吐し、家に帰って趣味に浸る事でしか心の安定を保つ事が出来ず、外出時はイヤホンで外界からの刺激を遮断しているので、エヴァンゲリオンの中でゲンドウはどの回を観てもとんでもないヤツだ!と思っていた価値観が徐々に自分ごとのように思えてきて、もう完全に憎めなくなってしまった。

 ミサトさんやカヲルや綾波(仮)の喪失を乗り越えて最後に託された槍を手にしたシンジに「他人の死と想いを受け取れるとは、大人になったな、シンジ」とゲンドウが言ったのは、碇ユイの死を自身が一番受け入れられていなかったとやっと自覚できたからなのだろうと思った。

 ゲンドウとの対話が終わり、自分自身の中にある罪と母の存在を引き受けたシンジが13号機に残されたアスカの救出と、記憶の再生で今までのシリーズで運命に囚われていたであろうアスカ、カヲル、綾波と対話して物語の外側へ行くように促す描写に熱いものがこみ上げてきたのと、シンジが一人で記憶の海にずっと取り残されてしまうのではないかという不安があったものの、無事にマリが救出に来てくれて物語はページの外側へ…。

ED

 ゲンドウの策略を止めた事によって、元の世界に戻ったのか、別世界に生まれ変わったのかもしれないけれど、アスカはケイスケと、綾波はカヲルと、シンジはマリと、ちょっと成長した姿でそれぞれの日常を送っている姿を観て、確かにシンジは奇跡を望み、それでも自分の選択で運命を変えたんだなと納得するエンディングでした。
 ただ、ヒロインの中でもマリの存在がEDに大きく関わる特異な存在なので、恐らく救世主のようなポジションで描きたかったのかもしれないが、もう少しシンジとの接点が見たかったなぁと物足りなさも感じた…キャラも立っていたので勿体ない…。

 そしてEDムービーで実写の風景になるのがかなり良くて。
もしかしたら今までの物語を抜け出した後にこの世界にシンジ達が存在していて何処かで同じ時間を過ごしているんじゃないかなと思えるのがとても良い演出で、たまたま観た映画だけど、きっと今の自分の境遇も含めて一生忘れられない体験になった。素敵な作品です。

 今度はアニメシリーズと原作も観ちゃおうかな!(多分近いうちに観てしまう気がする)

ここまでお読み頂き、ありがとうございました!!

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