前回までのあらすじ
父参戦…て言っておきながらあんまり父活躍してない
……
実家の父は副顧問やその恩師である講師と上手く連携を取り、講師がこられない時の全体の動きの微調整や上手くついてこれない生徒の補佐などをしてくれました。そして動きが出来るようになり(それと並行して演奏も雨の日などに座奏で練習)楽器を持って外で練習すると
タコみたいなハゲのオッサン登場
そしてひとしきり副顧問に怒鳴って退場。実はこのオッサンは近所でも有名なクレーマーだったんです。おかげで、吹奏楽部はクーラーの無い音楽室を締め切っていつも練習をしていたのです……。真夏は、もちろん地獄。毎年座奏での練習中にも酸欠や貧血で倒れるのはあるある状態だったのです。外での演奏しながらの練習は昼間でも抑えないといけなくなってしまったのです。(それでも、真っ昼間はまだ許されていたようです。)
ところが、その様子を生徒から聞いたある保護者が助け船を出してくれました。
同級生のお母さんが、うちの中学校から歩いて5分の坂の下にある小学校の教員で、校庭を使って良いように学校と調整をしてくれたのです。めちゃくちゃ助かりました。おばちゃんありがとう。
かくして、練習に励んだり、本番当日の朝に流石に演奏できないからテープで音楽流しながら練習してたら再びタコハゲのオッサンが寝間着に枕持って怒鳴り込んできたり、色々あって本番に臨みました。
曲目は、「サンライズ・マーチ」(1982年課題曲)
結果は、「銀賞🥈」
初めて参加した身としてはまずまず、と言ったところでしょうか。もちろん、浅井父は最後まで打楽器の調整などをしてくれました。ちなみに、この時浅井は「グロッケン(鉄琴のこと)」を演奏してました。
同じドリル(マーチングのプログラム)を体育大会でもやりました。それも白のスコートと変な色のシャツを着て。懐かしいわ…。
そして、文化祭では座奏で同じ曲をアンコールで演奏。(その後にお調子者の生徒が「校歌斉唱〜」って言い出して譜面もないのに無理やり演奏しました。あの時の部員全員グッジョブ)
そして、吹奏楽の文化部として一番忙しいシーズンへと続く。
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