こんにちは。浅井の肉です。
前回、吹奏楽ってなんやねん、オーケストラとの違いってどこやねん、という話をさせていただきました。面白くもなんとも無かったとも思います。
今回は、私が吹奏楽に関わることになったきっかけ、そして私と吹奏楽との現状についてお話しします。
遡ること40年弱、まだ記憶もない頃に、私の父は当時住んでいた所の市民吹奏楽団に入っていました。元々、父も小学校の頃から金管バンド(金管楽器と打楽器だけで構成されたバンド)を皮切りに中学、高校と吹奏楽漬けの日々を送った人で、まだ物心着く前の私を連れて練習に行ったり、大きな公園で演奏してる地元の高校の演奏を見たり、OBとして出身高校の演奏パレードのサポートをするのに私を連れて行ったりと要は私、刷り込まれてたんですね。英才教育、または洗脳。
そして父の転勤で引っ越して父の地元に戻ってからは父は地元の楽団に助っ人で出たり、父の学生時代の友人がリーダーを務めるジャズのバンドに入ったり、そして私をそれらのイベントや演奏会に連れ回したりしてたんですね。そして、インプリント完了。中学生になった浅井は迷わず吹奏楽部に入部することになったんですね。
浅井の通っていた中学校は、何年か前に全国大会に出たこともある強豪校だったのですが、その時の顧問の先生がお辞めになって次に来た顧問があまりにも指揮者、指導者としてポンコツ落差が激しすぎて地区大会銅賞を連発する弱小校に成り下がっていたのでした。
ここで、吹奏楽コンクールの成績の見方について解説します。基本、吹奏楽コンクールでは「出場してタイムオーバーで失格しなければ金賞、銀賞、銅賞のどれかが貰える」というルールになっています。その金賞受賞校の中から、代表を決めることになります。(出場バンド数にもよるけど、大抵2〜3団体のことが多い)
話を戻します。うちの学校は力量は大変弱かったのですが、人数はめちゃくちゃ多かったんです。入部した当時全部で80人くらいは部員がいたので。
ちなみに、吹奏楽コンクールでは規定で中学校のA部門(全国大会まで門戸が開かれている部門。課題曲、自由曲の二曲を演奏する)は50人までと決まっています。高校は55人。そして、それとは別に35人までのB部門(自由曲のみの演奏、県大会まで)30人以下の小編成(同じく自由曲のみ、関西大会、東関東大会などの支部大会まで)と色々部門が別れていて、当然2、3年生はA部門に出て、楽器を始めたばかりの私たち1年生は 普通なら基礎練習に明け暮れる夏をむかえるはずだったのですが。
当時の新任副顧問(24歳なのに40歳に見える)「お前ら1年生でB部門に出るぞ」
……という鶴の一声でロクに楽器を触ったことのない1年生30人でコンクールB部門に臨むことに。
次回「えっ、私ら部門のレベルが違うとはいえ先輩より良い成績取ってええんですか?!」に続く。
コメント