ギィヤァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア?!?!?!?!
鬼!!悪魔!!!般若!!!松崎夏未!!!!阿部智里!!!!!
はい。もうね。なんてことをしてくれたんだと。小説最新刊のあのオチの後に「馬鹿の方が賢い時もあります」の回を持ってこられるだけでも”最悪”なのに、その上博陸公がちゃんと描写されてしまいました。あとコミカライズオリジナルのナレーションも伏線回収されましたね。
小説担当編集のポッドキャストによれば、元々『亡霊の烏』の発売時期はもうちょっと先延ばしする予定だったらしい。しかしPOPUPを出す大○書店が予想以上にハッスルしてしまったので、当初の締切通りに仕上げたのだとか。ありがとう大○書店。それはそれとして夜道に気をつけな。
さて、今回は『亡霊の烏』の感想を、起きた事象に沿って垂れ流していきます。例によって想定が露悪的だったりブレブレだったりするので、何でも許せる人向け。
1.逃亡者殺害(一章)、野良絵製作者捕縛(六章)
『楽園の烏』において発生した毒殺事件。トビ(2代目)が安原はじめを誘拐して取引した結果、強制労働に駆り出されていた民が解放された…はずだったのですが、解放された民には毒が盛られていたというお話でしたね。
本作では、その後始末…即ち、逃げた民を捕らえてぶっ殺すところが描写されました。東に住む役人の娘である爽と役者のあやめ、そしてあやめの親類と思われる逃亡者のナミ姉が中心人物でしたね。
追っ手に気づいたあやめがすぐにナミ姉を切り捨てるさま、ナミ姉が生き残ろうともがく姿、そして呆気なく殺されるところまでが、克明に描かれていました。
まあ、重要なのはそこじゃありません。ナミ姉の発言と、あやめの存在そのものが物語の鍵と言えます。ここではナミ姉の発言を見ていきましょう。
『楽園の烏』では、強制労働に残る民がいたこと、博陸公の所業と目的などが描かれたことで、博陸公の行いと合理性がある程度明示されていました。また、民がそれにある程度納得していることも。
しかしどうでしょう。ナミ姉の発言からすれば、取引したにも関わらず脅しは入れてるわ、知っての通り毒は盛るわとなかなか酷いことをしています。で、これまた知っての通り人質も取ってる。
これは、民の恨みつらみについて知ってもらうための描写でしょう。まあ民って言っても谷間の人達ではあるのですが、それはそれとして博陸公への同情とその政策への納得を抑える役割は果たしているはず。
ただし、『亡霊の烏』ではその逆をやってもいます。それが六章の夫婦。夫は澄生に頼まれて野良絵を作っていたのですが、妻(谷間出身)はその行いにうんざりしていたというくだりですね。
妻は革命を志向する夫に主張します。毒殺された連中はひねくれた考えで博陸公に逆らったのだからああなっても仕方ないと。自分は彼らと違って真っ当に生きてきたし、そういう人間は真っ当な方につく。偉くて賢い人間の方が真っ当で、澄生や夫のような英雄気取りは大馬鹿者なのだと。
「お上は下々の生活を考えてくれている」という前提に立ったこの主張と、夫のような権力者に歯向かう考え。Twitterでもよく見ますよね。夫が「これはお前たちのためでもある」とか言い出すところも含めて。
こういった民衆の主張に優劣をつけず、フラットに描くところが八咫烏シリーズ二部の良さであり、同時にシリーズ読者が悲鳴を上げる理由でもあります。今や一部の主人公が権力者ですからね。
権力者に刃向かう民と、阿る民。両方いる状態から、どんな結末を迎えるのでしょうか。
2.療養院一家(三章)
一部終了後の短編から結ばれ、二部では紫苑の宮の戸籍偽造先となっている澄尾と真赭の薄。その子どもたちは『追憶』と『望月』で少しずつ描写されていましたが、今回は一家が揃うシーンが設けられました。
長女の茜は『追憶』では紫苑の宮の乳母子として、『望月』では西家の姫桂の花の女房として登場していましたが、『亡霊』では「葵=澄生」として戻ってきた紫苑の宮に再開するシーンが描かれました。ちなみに戸籍偽造は茜も知らなかった。
さて、茜が出るところで重要なのは博陸公=雪哉について話すシーン。『追憶』でも仕事人間な雪哉のことを冷たいと言っていた彼女ですが、今回もその延長線上で雪哉の批判を続けます。浜木綿だって辛かったのに説得も続けずすぐ裏切って〜みたいな。ちなみに真赭と澄尾はモニョモニョしてたけど何も言わなかった。
『追憶』を通ってきた読者なら「それは違う!」と反論したくなりますが、冷静に考えるとこれは仕方のないことなのです。
澄尾さまですら「見限られた」という認識ですし、遺言書開示以降の流れを(姫様と治真以外の)当事者視点で見ればそうなるのも頷ける。真赭にしても、戦時の雪哉を見ているので「そうじゃない」とは言えないでしょう。平時(?)の雪哉を多少なり見ているからこそ、情が抜けきらないだけで。
ここで思い出されるのが、『弥栄』における茂丸の台詞。彼は「冷たく振る舞う(感情を隠す)ことで、いいところが見えづらくなる(意訳)」と言っていましたが、まさにその通りになってしまいました。数少ない理解者はもうものを思えませんし。治真は雪斎のプロフとステータス理解してるだけで多分そういうのじゃないですし。
3.凪彦の反抗と失敗(四章~五章)
澄生の野良絵ばらまきに乗じて、長束と連携しながら博陸公への反抗を始めた凪彦。しかし、最終的には澄生&長束の南家との繋がりが掘られ、正室の蛍を人質に取られる形で失敗します。おまけに凪彦はあせび様の手に落ちてしまいました。
凪彦は鶴が音に助けられるか、「この乳飲み金烏が!!」とか言われてあせびもろとも民衆に惨殺されるかだと思うのですが、ここで真に興味深いのは南家当主・融の動きです。
融は自らが感知していなかった南家と澄生たちとの繋がりを博陸公に知られ、橋渡し役をしていた撫子と蛍に私を欺いたな、貴様らァァァァァアアア!!!と激怒(※怒りはしたがそんな台詞は実在しない)。結果として撫子と蛍には流行病の患者という嘘が盛られ、療養のためということで蛍が攫われました。
しかしこれ、なかなか面白い展開なんです。融は南家さえ良ければいいというタイプの人間で、しかしその裏には南家当主としての誇りがある。己を侮った者への怒りがある。これは以前から仄めかされていたことで、今回で結実したわけですね。
しかしその怒りが、その唯一のプライドこそが南家を、ひいては「貴族社会」を破壊することになる。長束派と繋がっているという利点を、私欲がなく、しかしプライドだけは高い彼は活かすことができなかった。
…と思いましたが、少々無理な見方かもしれませんね。金烏の座を澄生に明け渡したところで、南家が生き残れるとも限りませんし。そもそも、一回騙されてるという構図の相手に交渉仕掛ける気にはならないか。融じゃなくても無理だわ。
長束にも多分に非があるわこれ。てか初期長束の残した因果も巡ってないかこれ。博陸公とか長束の因果が袈裟着て歩いてるだろ。
4.北家朝宅襲撃(六章)
治真の拙速な作戦により、野良絵製作者の捕縛はやや失敗していました。そして、捕縛された製作者の一人はこう言います。博陸公には「おもいびと」がいると。
北家の朝宅に。
原因は、雪稚と博陸公が見間違えられていたことにありました。雪稚には妻と子がいたわけですが、彼らが「博陸公とその情人」扱いされていたわけですね。
雪哉が現場に向かった時には遅く、既に梓、雪稚、雪稚の妻、見張りの兵士が死んでしまっていました。そして博陸公雪斎は、本物の独裁者と化すのです。(独裁者云々は複数の感想にもあったのですが、まだ推論のはず。でも文脈的に「無私の博陸公」は壊れてそう)
…いや、あまりにも雪哉の集大成すぎる。賢くなってしまった末路であり、犠牲を強い続けた末路であり、”いいところ”を隠し続けた末路でもある。中盤あたりに雪稚と話すところもあるので尚更キツイ。
この事件は澄生の怨念であり、翠寛の罵倒なのかもしれませんね。お前も母上と同じ痛みを味わえと。何でも自分の思い通りになると驕り、手っ取り早い「最善手」とやらに飛びつき続けた結果がこれだと。(翠寛の罵倒は小説の台詞を無理やりがっちゃんこしているので不自然)
「いつかきっと報いを受けるぞ、博陸公」。帯に書かれたこの台詞は作中に存在していませんが、雪哉が敵にも味方にも言われ続けてきたことなのでした。まあその道に引きずり込んだのは今善人面してる長束様と死んだ奈月彦なんだけどさ。
おまけ:結果的に博陸公に責任いっちゃったねぇ…治真くん見てる?見てるか。多分現場にいたわ。
5.蜂起(終章)
見て見て、紫苑の宮ちゃんが演説してるよ。白けるね。
はい。あんな惨劇の後に置かれても反応に困る終章です。陰鬱(暫定翠寛)、目元涼しげ(暫定松高)、暫定紫苑の宮の三人が民を集め、暫定紫苑の宮が高らかに蜂起を宣言するシーンですね。偽物説(あやめさんが役者なため)もありますが、まずは本物説から話を進めます。
本物だった場合、どう考えてもここにいちゃいけないのが翠寛です。だってこいつ犠牲払うの嫌いじゃん。こんな不確実な突撃やるタイプじゃないじゃん。羽林天軍も山内衆も動き回れるんだぞ今。
羽林天軍と山内衆が”無私”から解き放たれてしまったからこそ蜂起せざるを得なくなった可能性も無くはないですが…もしかすると、翠寛と澄生には既に勝算があるのかもしれません。まあ具体的な作戦の話は置いといて、ここでは翠寛が蜂起側にいる理由を考えてみましょう。あ、前回の翠寛部分は一旦忘れてください。これ翠寛の再考察なんで。
前回言った通り、澄生は元から戦争マシーンか、さもなくば”変節”しています。それ故、彼女はトビに平然と入れ知恵しまくったわけです。
澄生は賢いので、『楽園』での毒殺事件が起こるまではこの事実を隠していたと思います(『望月』から『楽園』までは行方をくらませられるわけだし)。千早はパイプとして使い捨てられてそう。で、『楽園』が終わった時点で翠寛は気づくわけです。
澄生は犠牲を恐れないし、博陸公はそれに応えてしまう。そして、博陸公に一切の交渉は通用しないと。(一部始終に関しては千早を通して聞いたと思われる。)
そこに今回の治真アタック+朝宅襲撃ですから、武装蜂起しかないと悟ったのでしょう。朝宅襲撃が澄生の仕込みかどうかはわかりませんが、翠寛に「まっとうなやり方ではらちがあかない」と思わせるには十分な事象が出揃いましたよね。
これが前回挙げた翠寛の”変節”を再考察したものとなります。彼は澄生に利用され、変節せざるをえなくなったのです。教師から、ただの手駒へと。
なんて言ってみましたが、読み込みが甘いので全然間違ってそう。紫苑の宮が山内ぶっ壊しマシーンの化け物とかやだよ私。てか楽園ではじめと再会する約束してたよね?あれなんだったん?はじめはまだ出れるの?
…さて、ここまで終章の澄生本物説をベラベラと語ってきたわけですが、偽物だった場合はどうか。
実のところ、あまり変わりません。澄生の正体まで知ってる偽物とか、十中八九澄生の仕込みじゃないですか。大方、労役から逃げた人の一部を追って仕込んだんじゃないですかね。澄生は遍在するので。
以上、起こった出来事に沿って『亡霊の烏』の感想を書いてみました。ラスト1話で紫苑の宮の”善い”真意が分かればいいのですが…「八咫烏シリーズは、復讐の連鎖を描いているという点で一貫している」みたいな考察も見ちゃったのでそれも望み薄かも。せめて何か救いが欲しいな。それが雪馬と市柳なのかな…?あの二人は作為的に残らされてる気がします。なんとなく。
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