実家の父が、余命宣告を受けました。
正直、去年(2024年)の年末に立て続けに二回も入院した時点で、相当悪いんだろうなとは思っていたのですが、やはり両親共にショックだったようで、詳しい話は妹(福祉職)に聞きました。妹も幼い子供を抱えて仕事と両立していて忙しいのに、色々両親を支えてもらってありがたい限りです。
実は、我が家は妹も吹奏楽畑出身で、大学時代は大学ジャズのビッグバンド(しかも伝統あるところ)で演奏するメンバーでした。母は特に何か楽器をやっていたわけではないのですが、フォーク世代で歌が好きで、父や私たち姉妹の演奏などを聞くうちに耳が育ち、一端のシロウト評論家になっています。
そして、浅井の息子である坊主も、なんの因果か吹奏楽畑に飛び込んでしまい、今に至る……というわけです。
そもそも、父が吹奏楽に関わったのは小学校時代の鼓笛隊だそうです。今でも父の出身校は小学校に鼓笛隊があり、様々なイベントに出てるようです。そして、中学でトロンボーンを吹き、吹奏楽やりたさにとある関西の企業付属の職業訓練校を受けました(ここまで言うとどこかわかる人にはわかる話)。そこでまさかのトロンボーン→パーカッションへの転向(本人の意思ではないそうな)。
そして、父は三年間みっちりパーカッションとマーチングを鍛えられ、卒業後は付属企業に就職。田舎から集団就職で出てきた母と出会い、結婚。結婚までにその企業の社内部活動の吹奏楽団、同じ訓練校同期と同じく社内部活動のビッグバンドにトロンボーンで参加、そして私が産まれるわけです。
そして、程なくして東京に転勤になり、一家で東京に引越し。東京のとある区民吹奏楽団に所属、私もちょくちょく連れていってもらってたようです。(なんか芯一本に色んな色が混ざってる色鉛筆もらった記憶が残ってる)その間、父のジャズバンドの名古屋遠征に幼稚園のリュックにおもちゃとおやつを入れてついていったり、職業訓練校の吹奏楽団のパレードに一緒にくっついて歩いた記憶(おやつに当時流行ってたお餅系ガムのお菓子を入れてもらった)があります。そうやって私は徐々に洗脳教育されてたんだと思います。
小学校入ってすぐにまた関西に転勤になり転校、転勤してまたすぐに祖父が倒れて祖父母と同居になったためまた転校、という激動の低学年時代を経て私が最後まで通った小学校には吹奏楽部はありませんでしたが、父の洗脳教育情操教育によって、小学校6年生になる頃には「クラリネットかフルートか打楽器やりたいなあ」と漠然と思うなどする少女が出来上がったワケです。そこから吹奏楽は沼だった②に話が飛ぶのですが
元来、浅井の実家の家系ってかなりオタ気質なんですよ。母は文芸少女かつフォーク少女で手芸マニア、父は上記のとおり吹奏楽、ジャズ、クラシックのマニア。祖父は勉強家でしたが山岡荘八と吉川英治の全集があったりしましたからね。祖母は神主家系のいいところのお嬢さんで多分竹久夢二とかそういうところに夢中だった系の高女卒、戦後すぐに家計がヤバければ自分で働き口見つけてくるタイプの女。いとこにも父方オタクからのサブカルからファッション業界に行ったおもしれー女、母方には姉妹で今も現役オタの母ちゃんやってるのもいたり。
多分、浅井にも素養はありまくったんだと思います。
話はちょっと飛びます。2022年、坊主一年生の冬。前年に浅井と父で出た演奏会に坊主と三人で参加して「親子三代共演」を果たしました。ただし、坊主は元来はチューバですが打楽器のヘルプとしての参加でしたが。出来はあまり……だったけど、父はとても嬉しそうでした。あまりに嬉しすぎて祐天寺のナイアガラ(大人も子供も容赦なく汽車がカレーを運んでくる鉄道マニアもカレーマニアも大喜びのカレー屋さん)に連れていったくらいですから(坊主はちっちゃい頃は某マルーンカラーの関西の私鉄推しの鉄道マニア)。
父は、今のところ再入院することなく、小康状態をたもっているようですが、これから厳しい治療に挑む決意を固めました。願わくば、また親子三代で同じ舞台に立つことができれば……。そして、坊主……はわかってるとは思いますが、その子供にも伝えようと思います。
私の父は、お前の祖父さんは、あなたのひいお祖父さんは、偉大なアマチュア演奏家だったと。
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