坊主、中学最後の舞台に立つ

私事ですが、坊主こと我が子が中学最後の部活の本番を終えました。私は演奏の経験者でもあるのですが、親としての想いをこの場を借りて書かせていただきます。

そもそも、坊主が吹奏楽部への入部を決めたのは、私が実家の父と一緒に出た演奏会を見たからでした。その当時坊主はまだ小学生だったのですが、「おれもじいじと一緒にやりたーい」と軽く言っていたのを覚えています。でも私は、坊主は運動部に入るものだと思っていました。なぜなら坊主の通っていた小学校にも吹奏楽部はあったからです。

そしていざ入学。数多の部活がある中、真っ先に吹奏楽部に見学に行き、まっしぐらに入部。そして、希望した楽器はトランペットだったのですが、小学校からの経験者も多くて結局回されたのは「チューバ」でした。(浅井も浅井の父もパーカッションだったのですがなぜか管楽器を希望。多分マウスピースが鳴ったからだと思うのですが、今でも謎です。)

坊主の出身の小学校には吹奏楽部があったので経験者がたくさん入ってきたのですが、坊主は中学からの素人。ピアノなどやってないので楽譜も読めない。しかし、元々空手をやってたのでそこそこの体力、体格と肺活量がある……ということでチューバに回ったんだろうと思うのですが、最初は希望の楽器になれずめちゃくちゃ悪態ついていました。が、次の日くらいから徐々にチューバの魅力に取り憑かれ、低音の虜になっていったのです。ちなみに、チューバは同じ学年にもう一人楽器未経験の女子もいました。もちろん上に先輩たちもいましたし。

坊主は楽器を吹くのが楽しくなり、かなり練習をしました。自分なりにたくさん努力し、考えた結果、「息が楽器から出るタイミングと音を出したいタイミングを計算して息を入れ始める時間をコントロールする」というワザを身につけました。坊主のやっているチューバという楽器は、息を入れてから楽器が鳴るまでにタイムラグがあるんです。それに合わせて息をコントロールすることができるようになり、そして「良い音」を鳴らせるように練習した結果、中2の終わりには「立派な土台」に成長したのでした。

中3になって、実家の父が出ていた演奏会を坊主の学校の他の友達二人を連れて東京まで見に行ったり、今まで出たことのない演奏会に呼ばれたり、イレギュラーをたくさんこなして、坊主も、他のみんなも大変立派なプレイヤーに成長しました。

坊主の学校は、夏のコンクールで金賞を頂き、東関東大会へ進み、そこで全国への壁を感じながらもやり切って帰ってきました。そこから今度は「定期演奏会」があり、学校の文化祭があり、そして、秋の大会にあたる「県の中学校音楽祭の地区祭、本祭」がありました。

今日はその「栃木県中学校音楽祭の本祭」でした。アクシデントがあったものの、何とか乗り切りました。

帰り際に坊主が「何だかあっけなかったな。なんか変な感じがする」とぽつりと呟きました。きっと、思春期の男子が精一杯表現出来るさみしさだったんじゃないかな、とお母ちゃんは思っています。

最後に、坊主だけでなく、今まで吹奏楽を経験した皆様、これから経験する皆様へのメッセージを送らせてください。

あなたたちは、一生物のかけがえのない仲間と、思い出を手に入れました。どうか、その宝物を生涯大切にしてください。

かつてそうやって大切な思い出を作った元吹奏楽部員より。

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