吹奏楽は沼だった③

☆前回までのあらすじ

副顧問「お前ら1年生だけでコンクール出るぞ」

1年生「mjd?!」

2、3年生「mjd?!」

かくして、基礎練習もそこそこに右も左も楽器の扱い方もわからない一年生30人が第二音楽室に集められたのでありました。

曲目は「チェスフォード・ポートレート」(J.スウェアリンジェン作曲)に副顧問によって決められておりました。

吹奏楽では人気作曲家がやはりいて、この頃は日本の作曲家より海外の作曲家の作品が流行っていました。スウェアリンジェン氏の他にはA.リード、J.バーンズなどの作品が大変人気がありました。名曲揃いで手頃な難易度なので、当時B部門ではよく下手クソ頑張って演奏している学校が見受けられたものです。毎年聞くから曲覚えちゃうんだよ。有名どころだと「アルヴァマー序曲」(バーンズ作曲)なんかがどっかで聞いたことあるやつです。

なんせ、最初に音合わせ(チューニング)をするところから一時間もかかる始末。音が安定しないから吹くたびに音が変わっていくんですよ。どうしようも無え。

そして、合奏も最初の1小節だけで初日が終わる体たらく。前途多難な中、合奏は繰り返されました。28年も前のこと、体罰は流石にありませんでしたが、怒った副顧問による暴言や指揮棒投げつけられたこともありましたし、ボロクソに言われて泣く子もいたりしました。それでもなんとか、なんとか、形に……。

一方その頃、2、3年生は主顧問の元第一音楽室で合奏を繰り返していました。1年生と比べてあまりにもサクサク進む合奏。私らもあんな風になれるんやろかと道の遠さを嘆く我々。

しかし、ここで思い出して欲しい。主顧問はあまりにも ポンコツだったということを(言っちゃったよ)

地区でのコンクール前の発表会を経て、いざ本番。コンクールは出場校が多いので何日かにかけて行われます。B部門はA部門の前の日。1年生は本番に臨みます。正直、舞台裏で死ぬほど緊張してたのしか覚えてないです。舞台に登ってライトがついても、現実感ないような状態で演奏してた夢見心地に似た感覚も、今となってはいい思い出です。

そして、結果発表。通常、金賞と銀賞はややこしいので、「金賞 ゴールドです」と発表されるのが常なのです。その後の歓声は凄まじいものがあります。銀賞でも拍手が起こったりします。銅賞の時は……まあ、お察しの通り……。

そして、1年生の結果は、

 

 

なんと銀賞🥈! 😳

私たちは「うわああああああああ!」とまるで金賞を取ったような騒ぎを起こしたのでした(後で副顧問に失笑されましたが(それでも副顧問も嬉しそうだったけども。)

そして、次の日。

先輩たちの本番。私たち1年生(特に打楽器パート)は楽器運びの手伝いをして、舞台裏で先輩たちの演奏を祈るような気持ちで見守ります。

結果は、銅賞🥉。

絶句。拍手も起こらない、気まずい雰囲気。すぐに次の学校の結果の発表に移る中、静かに泣き始める先輩たち、そして私たち1年生も……

お通夜のような雰囲気の中、コンクールの夏が終わり、そのまま3年生は引退となったのでした。

次回「夏が終わってもまだまだ繁忙期☆体育祭のオープニング行進、文化祭に依頼演奏盛りだくさんなのにその前にマーチングコンテストに出るですって?!バタバタ続出する鼻血患者!水が足りねえ!一体どうすりゃいいの?!デュエルスタンバイ!(一度やってみたかった)」

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