私の人生を一時期もっとも悩ませたのは友情だった。友人関係に悩んでいたというよりは私の理想とする友情がこの世に存在しないことに悩んでいた。対等に互いを大事にできる関係性が欲しかっただけなのにそれはそんなにも得難いものなのだろうか。
私の最初の友人にして親友は実家が近かった。小学校に入学して一緒に行動する機会が増えたのだ。歳を重ねるにつれ仲良くなったが、ないがしろにされることも多くなった。「たまには役に立つ」と言われるようになり、誕生日を忘れられた。別の友人の誕生日は祝っていた。
友人は最初気が強かったが、だんだん気弱になることもあって私に依存傾向になった。私はそれはいいことだと思った。なぜだかわからないけど友人は誰からも人気があった。なぜかわからないというのは、人に親切なのは私のほうだったはずだからだ。無表情すぎたのかもしれない。友人は表情豊かだった。
私たちは高校まで同じ進路を歩み、別々の大学に進学した。はじめて人生がわかれたと言っていい。
私たちは同じ東京にいながらまったく会わなかった。こちらから会おうという連絡はすべて「忙しい」で片付けられ、用事があるときは向こうから連絡が来た。毎年友人の誕生日パーティを開いたけど、私は一度も祝われなかった。秘密にしておくように話したことは他の人が知っていた。自分で書いていて面倒くさいとも思うのだが、私の誕生日は大学なら大きな休みの頃で、1日も私のためには割けないというのがわからなかった。私以外の友人とは会っていたから。ここまでくると嫌われているんじゃないか?という感じだけど、友人は私からの愛情に絶対の自信を持っているというような話を時々したので、むしろ愛されてやっているくらいの感じだったのかもしれない。私が友人との関係にけりをつけるまでにはさらに数年を要する。
その間できた友人の話をしよう。5時間遅刻連絡なし謝罪なしを3回されて珍しくキレたときがあった。この人には何かにつけてお礼と謝罪はされなかった。今の友達で割と遅刻する人がいるけど、連絡をくれるし謝ってくれるので全然怒る気にならない。よくお礼も言われるので、私もいつもきちんとしなくてはと思っている。
もう一人は、色々とこちらが便宜を図っていた人だけど、体調不良でそれを断ったら「無理してでもやってほしかった」といわれたので嫌いになった。この人と遅刻の人は自分の顔が、つまり写真が私からの行為のお礼になると思っていたようで、写真がよく送られてきた。写真をもらうのは別にかまわないけど、私には貢ぐ趣味も財力もない。女友達相手なら可愛いと言うこともあるけど、「そうかじゃあ貢いでもらう」となるのは友情じゃないと思う。
更に別の人にも一方的に罵倒された後「無理してでもやり直したい」と言われ私の精神は混迷を極めまくっていた。それらの人たちと縁を切り、ようやく親友とも縁を切った。まったく、人生の半身を失ったような空虚で何もない自分に……なっていなかった。
私はいつの間にか大学時代の友人とプレゼントを贈りあったり、連絡を取ったり、たまにあったり、相談しあったりする理想の友情を手に入れていたのだ。この世に理想の友情はちゃんとある。それが私をどれだけ慰撫したことだろう。万が一この友情がいつか途切れても私はもう友情に絶望しないですむのだ。
その後も時々友達が増えている。
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