たまには、自分にご褒美を

私は出不精だ。

滅多に旅行やイベントに行かず、週末は食料を買い込み、休日は寝たり起きたりしながらゲームや読書や動画視聴をしている。徹底して外に出たくない、という姿勢だ。まだまだ先の、定年退職までの年数を指折り数えては、ひっそり老後を夢見る有様だ。

しかし、そんな私は月に一度、病院に行かねばならぬ身の上である。わずらわしいが、医師の処方箋を必要とする。うっかり薬を切らすと大変なことになる。

自宅から徒歩で最寄り駅、そこから二駅、そしてバスに揺られての通院。予約制のくせに待つ診察。薬局で分包してもらう時間、すべてが鬱陶しい。面倒くさい。病院に行くのに、病院への道すがらで具合が悪くなる、まるで本末転倒だ。

けれど、通わなければならないことは決まっている。避けることができない。勝手にやめることは許されない。ならば、どうするか。

私の結論は、いたってシンプルだ。帰り道、美味しいランチを食べる。お気に入りのカフェに立ち寄る。大好物のクレープを買う。要するに、自分へのご褒美だ。

「病院にいくのは億劫だ」「が、行けば大好きなご飯を食べていいよ」と目的をすり替える。通院のついでのご褒美ではない。ご褒美のための通院なのだ。

実は、私は通勤にも、同じような「簡単なお楽しみ」を設けたことがある。「仕事に行きたくない」「が、通勤できたら、某コンビニのアイスコーヒーを飲んでもいい」等々。

話を戻そう。

私が無事に月一の診断を受けたあと、ほぼ必ず立ち寄るのは、とあるタイ料理のお店だ。

カオマンガイにカオパットクン、プーパッポンカレー。トムヤンクンと生春巻き。辛いものが少し苦手なので、選ぶメニューは限られているが、何度でも食べたい料理ばかりだ。

お茶も口当たりがいい。ガラスのピッチャーには、おかわり自由のお茶がたっぷり入っていて、私はガブガブと飲んでしまう。

カウンター席は、透明な仕切りで厨房の様子が拝見でき、目にも楽しい。

大きな鍋に、ジュッと音が聞こえそうなほど油を注ぎ、生卵を滑らせたら、あっという間にフチがカリカリな目玉焼きの出来上がり。目の前の水道で鍋を洗い、加熱して、次に投げ込まれたぷりぷりのエビやご飯が、鍋振りで軽快に踊る。皿にパクチーなどを飾り、数分もしたら、見た目も素敵な一品完成。惚れ惚れするほど見事な光景だ。

また、厨房のみなさんは、タイの方々ばかりで、なんとなく気さくな雰囲気がある。リズムでもあるみたいに、ぽんぽんぽん、と軽快に調理をしていて、私はそれが嬉しくなる。なんだかんだで疲れてしまった心と体に、行きつけのお店はご馳走なのだ。

「たまには、自分にご褒美を」

なんて言いつつ、しょっちゅう何かを買ったり食べたりしているが、おかげで、嫌なこと苦しいことが、ほんのわずか許容できるようになったと思う。自分が頑張ってるなんて、ひどくおこがましい発想だが、でも今日もなんとか乗り切れたなら、それはやはり頑張ったのだと信じたい。褒めてやりたい。

そうして、ほどよく己を甘やかして、日々いくらか楽に息をできるようになればいいな、と願うばかりだ。

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