きっかけはTRPGでした。
コズミックホラーを理解しえない日本人、という言葉から「他人の恐怖」を知りたくなりました。己の恐怖を知ることができれば、自分の知らない恐怖に輪郭を持たせられると思ったのです。
『恐怖心展』はすべての作品がSNS掲載可能ですが、7月21日現在テレビ番組『魔法少女山田』放送中ということもありできる限り皆さんに足を運んでほしいという思いからこの記事は展示最初のほうのお写真のみ掲載し、以降の細かい展示内容はざっくり紹介します。
所感、感想文としてお読みください。また、展示物はすべてフィクションです。
たいていのひとは何かを「怖い」と感じます。
物理的害に対する恐怖とはまた異なる「こわいもの」が皆さんにもあるのではないでしょうか。
恐怖症と呼ばれて共有されるようなものもあれば、ほかのひとと共有するまでもないような小さなことまで。そしてそれらの「こわいもの」を楽しんで恐怖心を飼いならすひともいますし、避けるひともいます。
- 存在
- 社会
- 空間
- 概念
この『恐怖心展』では4つのカテゴリに分類された「こわいもの」が展示されています。
展示物たちを前にしてあなたはどのように己の恐怖心と向き合ってきた/向き合うことを想うでしょうか。
”何を怖いと思うのか”-『存在に対する恐怖心』
蓮の花や集まった水滴が怖いとおもうひとはよく見かけるのではないでしょうか。私もパターン化されたトーンのようなドットでない限り、集合体に対してゾワッと鳥肌が立つことがあります。
でもそう思わない人もいますね。
ひとによって”何を怖いと思うのか”は様々です。
たとえば写真は『存在に対する恐怖心』カテゴリの水に対する恐怖を示した展示です。コップに水が注がれ続けるというアート作品ですが、入れっぱなしの水で不衛生を想起したり水音が伴うことで様々なネガティブな記憶を呼び起こしたりするから不安になる、という恐怖心です。
私は(不衛生は嫌な感じがありますが)水を怖いとはそんなに思えません。海や川の濁流や波になれば話は変わりますが、コップに垂れる水からくる連想に恐怖を感じたことがないためです。
しかし、この記事を読む方の中には垂れる水の音や溜まった水に嫌な思い出が重なって嫌な気持ちになる人もいるかもしれません。シンクに洗い物が溜まっているとかね。この嫌な気持ち、焦る気持ち、不安な気持ちが恐怖心だとここでは形作っています。
『存在に対する恐怖心』カテゴリは直接的に作用してくることはありませんが、連想ゲームのように膨らんでくる不安感を示していました。
”焦り”-『社会に対する恐怖心』
私は書店でアルバイトをしていたのですが、特定曜日にとんでもなく長い電話をかけてくるお客様がいらっしゃいました。そうでなくとも普段からまったく知らない人に電話をしたりされたりしながら目の前のお客様への応対もしていかなくてはならない。目の前のお客様はお客様で、こちらは司書さんでもないのに一生懸命お客様の記憶を辿っていただきながら本を探すこともありました。
そんな中で人員削減されて夕勤時間帯(長電話のお客様がかけてくる)に実質バイト2人だけ……と追い詰められた結果、ずっと着信の幻聴が聴こえていて固定電話の着信音にひどく怯えていた時期がありました。
似たような展示がこの『社会に対する恐怖心』にもあります。
ここでは常識、意識からくる強迫観念の焦りを引き起こすものが多く展示されています。
職場や学校で立ててしまった物音、赤ん坊の泣き声、SNSのトレンド。視線を集めてしまうかも、自分がここにいるせいで泣いていたらどうしよう、知らないことがあったらどうしよう、と焦りを引き起こします。
個人的に痛いところ突かれたのは『忘却への恐怖』でした。実際必死に写真を撮ってメモを取って帰ってきているおかげでこの記事を書いているのですから、ずっと強迫観念に圧されていたわけですよね。遠征先の写真や映画の半券、スクショ、メモ、ツイートなど覚えがあるひとも多いのでは?
あと『臭気への恐怖』も頷かざるを得ません。エレベータで4階に移動する最中、35℃近い外気で歩いてきた己が汗臭いんじゃないかと申し訳なくて情けなかったです。
一番わたしが共感したカテゴリでした。
”居心地の悪さ”-『空間に対する恐怖心』
閉所、高所。恐怖症と名前がついているものもある『空間に対する恐怖心』。
もちろん空間というのはそれだけじゃありません。ここでは場所と空間に対する”居心地の悪さ”について展示されています。
汚い、狭い、暗いといったネガティブ要素に対する薄気味悪さから居心地が悪くなることもあれば、清潔、広い、懐かしい(ノスタルジー)といった一見ネガティブではない要素で居心地が悪くなることもあります。
後者の例としては『病院のにおいへの恐怖』があるでしょうか。わたしは幼少のころ訪れた病院の電子音と消毒薬のにおいが苦手でした。いつも不安でした。ましてや当時は健康優良児で家に置いて行かれる立場でしたから、居心地はそうとう悪かったです。
前者は潔癖や閉所恐怖がありますよね。埃が急に気になる、みたいな感じです。同じ空間にいたくない、という感覚ではないでしょうか。
”漠然とした不安”-『概念への恐怖』
幼いころ死の先を考えてひどく不安になって眠れなかったことがありました。
死んだ人間がどのような手続きを経て、どのようにお墓に入るかを知ってなお私は私自身が死んだときどのような感覚があるのか知りえなかったからです。皆さんもこのようなどうしようもないことへの不安感、どこかで体験したことがありますか?
ここでは死や永遠、無限という概念はもちろん、ここでは夢や虚像、幽霊のようなこちら側でないものも対象です。漠然としたものへの”漠然とした不安”こそが『概念への恐怖』です。
一見ポジティブな幸福という概念に対しても恐怖は生まれる、昨今のSNS事情も相まってすべての概念は不安を煽りかねないものです。『幸福への恐怖』という展示では愚痴からバズったという架空のインフルエンサーが「愚痴っていないといけない」という求められた虚像に徹しすぎたせいで幸福を享受することを恐れている様子が記されています。
個人的にこのカテゴリ内では『時間への恐怖』に共感するものがありました。私はゲームにおいてタイムアタック要素がひどく苦手なのですが、時間経過で不可逆的な変化(セーブデータで戻せるとはいえ)が起きることに常に怯えています。
わたしが一番やりこんでいたゼルダの伝説トワイライトプリンセスというタイトルの影の神殿が本当にその要素が大きくて、失敗への恐怖と時間への恐怖で涙を流しながらプレイしていた記憶があります。
感想-『恐怖心に対する恐怖心』
ざっとすべての展示カテゴリを紹介し終えました。
恐怖心はネガティブにとらえられがちですが、怖いと思うことは決して悪いことではないです。展示でも「恐怖心はアイデンティティを形作るもの」として扱っていました。ジェットコースターやお化け屋敷を楽しむのも程度が軽いだけで恐怖心を抱いているからスリルを感じるのですよね。
私が上で紹介した3つの体験も恐怖心があったからこそ己のエピソードとして紹介できました。
そして、「ああ、これが怖いんだよな」ということを自分の頭の中でぐるぐる考えながら見て回ったのでこの展示会の目的でもある恐怖心との向き合いは達成できたかもしれません。いろいろなものを展示してある中で、展示してあるものが怖くなかったとしてもこれを怖いと思う人たちのことを考えたり、自分が怖いもののことを思い出せました。
現在放送中の『魔法少女山田』に直接的にかかわるアイテムは見受けられませんでした(7月21日24時半時点)が、この展示後であればより一層出てくる人々が抱いたであろう恐怖心に思いを馳せられることでしょう。可能であればぜひ行ってみてほしい展示会でした。
一方、鑑賞中に展示カテゴライズにちょっと疑問もありました。
疑問はあったのですがいざ言葉にしようとすると大変難しく、むずがゆさも含めて正直体験してきてほしい気持ちです。自分の中でかみ砕こうとすればするほど「このカテゴリだけどこう恐怖するならこっちじゃない?」とか、「恐怖心自体こうしてラベルを貼ってカテゴライズするのが厳しいんじゃない?」みたいな感じになってくると思います。

『恐怖心展』、ぜひ行ってみてくださいね。
『魔法少女山田』もぜひ。
ちなみに今日一番怖かったのは、帰りに通りがかった公園で見た「高い木の枝に中途半端に飾られた折り紙の七夕飾り」です。
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